Untitled
fukumatsu:

今日もやられやく 絶チル作者が描いた『機動戦士ガンダム00』   他
kotoripiyopiyo:

外人4コマ補完計画 - NAVER まとめ

研究を重ねたワイズマン博士は、「2010年に人々の生活を変えるのに役立つことを願う」と、10のアドバイスを伝授している。

・目標は1つだけにする。
・数日じっくり考える。
・以前立てた目標は避ける。
・ごく普通の目標にする。
・細かくポイントを設定し、1つずつクリアしていく。
・自分にプレッシャーをかけ、サポートを得るために友人や家族に目標を話す。
・定期的に「達成するとどう好ましくなるのか」を書き出し、利点を考えるようにする。
・モチベーションと進歩の感覚を守るため、1つのステップをクリアしたら自分にご褒美を与える。
・達成までの計画やプロセスを記録し、グラフや絵を使って分かりやすく示す。
・心が折れそうなときは諦めるのではなく、一時的に前の習慣に戻ったと解釈する。

そんなわけで、出所に言及しているのは、はてなブックマークの人にはいるけど、Twitterではちょっと見当たらなかった。にもかかわらずリツイートの多いのに軽く絶望した。なんかもう、訓練された情報弱者向けツールとしか思えなくなってしまう。

このセッションで言われていたのは「良いプログラマーは自生しない」ということ。人と一緒にコードを書いて、人のコードを(書いているところを)見てプログラマーは良くなっていくんだと須藤さんは言っていた。そしてその後素晴らしいライブコーディングが始まったんだけど、それを見ながら思い出したのは、高橋さんと一緒にコーディングしていたことだった。

私は、たまたま20代なかばの頃に転職した会社に高橋さんがいて、当時今よりももっと小さかったその会社でPGは高橋さんと私の二人だけだったので、高橋さんと一緒にコードを書く機会が沢山あったし、須藤さんが言うように一緒にコードを書くことで高橋さんから多くのことを学んだ。本当に、たっくさん。
入社から5年同じ会社で仕事をしているうちに、私はRuby会議のスタッフになり、LLに自分でチケットを取って行くようになり、それらを通じてたくさんの人たちと出会って、たくさんの素敵な体験をするようになっていた。LLってなんですか?と言っていた私が。

もちろん、何をするにも選択をするのは自分だし、高橋さんから何かを強要されたことはない。というかそういうことを言わない人だし。でも私が変わるきっかけを与えてくれたのは高橋さんだった。

人と一緒にコードを書くことが、変われるチャンスをも与えてくれるってすごいよ。というか、コードを書いているだけで人に影響を与えることができる人っているんだよ。私にとって高橋さんがそうだったし、今回見ていて須藤さんも同じ種類だなあと思った。あと、以前LLで機会があってトリプルプロしたかずひこさんとかsecondlifeさんなんかも凄かったなあ。そんでもって、多分、札幌に来ていた何人もの人がそんな種類の人なんじゃないだろうか。できることなら自分もそうなりたいと思うし、こうやってカンファレンスに自分で出かけて行くようになって色々なものに触れる機会があるぶんだけ、それがない人達へ伝えていきたいと思うようになった。

しばらく小さい会社にいたし、すごい人達を見ていることが多かったから、日本の多くのSIerやそこで働く人たちがどんな風に仕事をしているかを忘れていたんだけど、最近一緒に仕事をしている人たちや、そこで動いているコードを見て、思っているよりも業界は変わっていないと思っていたんだ。そうじゃなくするには、どうすればいいんだろうって。そんなタイミングでの須藤さんのセッションだったので、なんか初心に帰ることができた。

私たちができることはコードを書くこと。コードを通じて伝えられることは多いよ。そんな当たり前のことを当たり前のように思い出した。

 お上が「こんなもの用意してあげたよ」とやって、成功するわけがないでしょうな。
オタク文化というのは、狙ってつくれるものではないんです。日本のアニメやマンガのブームにしても、「ガンダム」も「宇宙戦艦ヤマト」も「ポケモン」も 「エヴァンゲリオン」も宮崎駿の映画もね、どれ一つとして最初は評価されずに、放映打ち切りされたりスポンサーがつかなかったりだった。

二歳児である最近は「だっこしてー、だっこー。だっこだっこだっこだっこだっこ」と言葉で主張してきやがる。ぬう、ここは一つ世の中がギブアンドテイクであることをわからせてやろう。

俺「だっこしてあげたら、何してくれるの」

どうだ答えられまい。ふはははは、おとなしく一人で遊んでおれ。俺はこれからネットなどをするぞー!

娘「あのね、嬉しいって言う」

ネットはあとにしよう。

ズンガリガリガリズンガリガーリ - [生活]だっこだっこ (via 54kan) (via jinakanishi)
2009-05-03 (via gkojay) (via takaakik) (via fukumatsu) (via proto-jp) (via jinon) (via ppparallelll) (via nemoi) (via hm7) (via pdl2h) (via oosawatechnica) (via hepton-rk) (via robin0x0) (via fmmzk) (via akkico-730) (via sh2nat) (via yuco) (via kiri2) (via kotoripiyopiyo) (via 0shun)

 東京への人口の流入超過が、最近ブレーキが掛かり始めたんだそうで。東京都内への転入超過が去年は前年より32%も減少したらしい(前年は12%減)。

 中央大学大学院の細野教授の解説では、「そもそも、都会に若者を供給していた地方に、もう若者が居なくなった。くわえて、若者にお金を掛けて上京させる経済力が地方に無くなった」、ことが原因らしいのですが。

東京一極集中を是とする: 大石英司の代替空港 (via jinon) (via hsmt) (via gkojax)
2010-02-08 (via gkojay) (via tataraseitetsu) (via currychef) (via skamio) (via kiri2) (via kotoripiyopiyo) (via 0shun)

かつてのテレビ界には合い言葉がありました。「視聴者を巻き込め」というやつです。企画会議で必ず聞かされた言葉です。視聴者を、ただ受動的に番組を見る存在にしておかず、積極的な関与者にしろ(そう思わせろ)ということです。視聴者参加はその古典的な手法で、「電波少年」系の企画などは、その進化した姿です。送り手と受け手の間にあるテレビ画面という枠をいかに破壊するかということで、これは要するに、双方向性への希求です。テレビマンの腕の見せ所は、本質的に一方通行なテレビというメディアにおいて、それをどこまで擬似的に実現できるかにあり、テレビの進歩のエネルギーは、そこから生まれていたのです。

しかし、ウェブの登場ですべては変わりました。「視聴者を巻き込め」と、知恵の限りを尽くしてテレビが越えようとしていた壁の向こうに、きょとんとした顔でウェブがいる!そして勝手気ままに振る舞っている!この期に及んで壁を越えようとするのは、滑稽なばかりかテレビの存在意義を低下させるばかりです。そこで00年代中期からさかんにこう叫ばれ始めました。「テレビにしかできないこと」を探せ。

テレビ以上のものになろうとするのを止めて、テレビであることそれ自体の中に価値を見つけようというわけです。しかし、テレビにしかできないことは実はそんなにありません。なるほど局にはコンテンツ制作のノウハウはありますが、そこは何もテレビというメディアに縛られる必要はありません。テレビにしかないものを突き詰めれば、結局のところ過去へのノスタルジーと、華やかな芸能界と、大衆動員力に尽きるのです。

田代まさしはゴールドエクスペリエンス・レクイエムによって永遠に逮捕され続けてるとしか思えない